母の苦労
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母の苦労



私は、過食してすごく気分が荒れたり落ち込んだときは、よく母に電話をしました。
電話に母が出ないときは、ひどく不安になり、「無視されているのではないか」と勝手に考えて、イライラしました。 
電話口で母に八つ当たりをし、泣き叫び、暴言を吐きます。
「もうだめだ」と何度も口にします。
母は、私に何声をかけていいのか分からずに、ただ無言で聞いていました。
私も、もう何をどう伝えていいのかわからず、ずっと無言になるときもありました。
お互いが無言で、何十秒という時間が流れていきます。
私は、何とか母に苦しみを伝えたくて、言葉を探します。
でも、何も出てきません。
母が「もう切るよ」と電話を切ろうとすると、焦って、怒って、ひどいことを言ってしまいます。
逆に、私が「もういい!!!!!」と怒鳴ってプツっと電話を切ってしまうこともありました。
私は、母がもう一度かけなおしてくれることを心の中では願っていました。
しかし、かけなおしてくれることはほとんどありませんでした。(当然かな…;)

私がひどい状態のときは、母が、「今から帰ってきなさい」と言います。
そう言われても私は、着替えたり、外出の準備をしたり、バスに乗って駅に行って、切符を買って電車に乗って…そんなこと絶対にできない!というほどひどい状態のことが多々ありました。
そんなとき、母は、実家から高速に乗って3時間くらいかけて、私の住むマンションまで車で迎えに来ていました。
平日の深夜でも、明日早朝から仕事がある日でも、母は妹を一人家において、私の元へ来てくれました。
 
母が来るまでの間に、私は部屋をある程度片付けます。
「食べかすがあっちゃいけない。」
そう思って、のそのそと部屋の中を片付けました。
 
母が私のマンションに到着し、私を車に乗せ、再び3時間の夜道を母は無言で走らせました。
私は助手席で、ただただ静かに泣いていました。
窓の外のネオンが、私の手の届かない遥か遠い場所に行ってしまったかのように思いました。

また、私は過食が実はあまりひどくないときでも、母に対して電話で「もう死ぬほど食べた。私はもうだめだ。」と訴えることがありました。
今思えば、その頃はなぜか、母に対しては「過食がひどくて苦しんでいる私」をアピールしていたような気がします。
ある日、私は過食をしてしまい、精神的に不安定な状態で母に電話しました。
電話では、今の私の辛さをとにかく訴えます。
母は、私の電話での言葉に、私がひどく苦しんでいる状態にあると感じ、すぐさま私のマンションへ車で迎えに来ました。
ですが、母が私のマンションに到着した頃、私は気持ちを切り替えて、結構元気にアルバイトをしていました。
私は、そのときの母との電話で、実は実際よりすごく自分の状態をひどく言っていたのです。
本当は頑張ればアルバイトもいけるのに、いますぐ死んでしまうかのように母に言ってしまっていました。
わざと大げさに言っていたのか、実際それほど苦しく感じていたのかはよく分かりませんが、その両方だと思います。
「お母さん、私を忘れないで」「私を心配して」「助けて」と、心のなかで強く思っていたからではないかと思います。

母に暴言を吐いたり、長時間の電話につき合わせたり、遠い道のりを迎えに来てもらったり…こんなことが、大学在学中に、何度あったでしょうか。
もう、数えられません。
私を迎えに来るのに、高速道路で往復6時間です。
今考えると、本当にひどい思いをさせたと思います。
「死んでやる!」と言って、電話を切った娘。
私が独り暮らしする家に、車を走らせる母の気持ちを思うと、胸が張り裂けそうです…。
母にしてみれば、どれだけ大変だったか。

でも、私は精一杯母に助けを求めていたのです。
遠く離れた場所から、何度もSOSを送っていたのです。
そのときの私には、それが精一杯でした。

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